肝移植までの出来事(1)

胆道閉鎖症、肝移植

初期診断から広州へ転院

中国広東省の地方都市で生まれる。出生時の羊水の汚染があったと言う事で念のためにNICUに入ることになった。

NICUに入って3日目には便の色の異常でエコーを取ることになる。エコーの結果は胆嚢が不鮮明であることから先天性胆道閉鎖症の疑いと診断される。


出生した病院には小児外科が無いこともあり専門性の高い広州の病院へ転院する事になる。

この時生後6日目。

転院にあたっては高速で2時間の移動となることから救急車による医師同伴での移動となった。人生で始めての救急車を中国で乗ることになる。なお救急車の利用料金は2000元ぐらいだったはず。

広州にあるの小児専門病院へ到着後病院の医師から今後の予定について説明を受ける。

内容をまとめると

『前の病院の検査結果からすればおそらく胆道閉鎖症であろう。こちらの病院の検査に約1週間程度必要であるが最終診断は開腹の状態で判断する事になる。胆道閉鎖症であれば手術は葛西式手術を行う。』

ここで医師からの助言として以下の様な話をされる。

『葛西式手術はその名前の通り日本で発案された術式であり実績も日本の方が多いだろう。また少なくない確率で肝移植を行う事になるだろう。この病院では肝移植は出来ないのでさらに転院する事になる。また手術費用は200万元(3000万円)程度になるだろう。父親が日本人であるならば日本で胆道閉鎖の手術を受けるのが良いのではないか。』

その上で

『術後の生存率(正確には自己肝臓での生存率であったがそこまでは理解出来ていなかった)を考えると45日以内の手術が望ましい。開腹すれば手術はとまらないので開腹を中国でするか、日本でするかを決定する必要がある。』

と話をされる。

その夜はネットでいろいろ検索をした。
-中国では胆道閉鎖症の場合胆道閉鎖症の手術を行い効果がなければ肝移植になるが費用が膨大な為断念するケースが多い事。

-日本であれば胆道閉鎖症の治療は国の補助の対象になる事。

-30%の確率で葛西式手術の効果得られず肝移植、30%の確率で数年以内の肝移植になる。
等々
正直費用面については中国でも問題はなかったが、医師が日本で手術をするにはそれなりの理由があるのだろうと考え日本での手術を選択した。決定するのにそれほど時間はかからなかったと思う。

決定はするもののいくつかの問題は残る。
-パスポートの取得
-妻の在留許可申請
-日本の住まい
等があるが、まずはパスポートを作成し日本にフライトしその後で他の問題を検討する事にする。

私にとっての最大の問題は妻の在留許可が無く、日本に住まいもない事で一人で子供をつれて日本へ行く必要があると言う事である。

 

 

 

日本国籍取得(国籍の留保)

日本で手術し保険を適用させるには当然日本国籍が必要であるのですぐに日本国籍の取得を始める。
中国領事館でも手続きはできるのだが時間がかかること、ちょうど春節中で領事館が開いて無いこともあり日本に一旦帰国しで手続きをする事にした。
また時間は限られているので以下の内容を同時に行う。
1)国籍の取得
2)手術場所(病院)の決定
3)帰国ルートの確認

1)国籍の取得
これはそもままの内容。但し本籍地でしか処理が出来ない為に若干の移動が必要。この日までに日本名を決めておく必要がある。中国名は妻が日本名は私がつける事になっていたので結構悩んでつけたのだが非常によくある名前になってしまっていた(その時は調べていなくて知らなかった)。

2)手術場所(病院)の決定
私はすでに20年近く日本には住んでおらず、持ち家があるわけで無い為、実家に住むのが一番効率が良いと考える。従い実家近くの病院が第一の選択肢となる。県内でもっとも大きな病院に相談窓口があったのでそこで話を聞くことができた。

話では

葛西式手術は行えるが肝移植は実施しておらず肝移植が必要となれば転院する事になる。
胆道閉鎖症の手術についても去年は0件、一昨年1件の実績となる。(偶然翌日の新聞で昨年の県内の新生児数が7000人との記事をみたので確かにその程度になるだろう)

また低くない確率で肝移植となるから肝移植を見据えて病院を選ぶべき。当然肝移植となれば当院から提携先の病院と連携することはできる。
胆道閉鎖症については小児慢性特定疾患の対象になるので、治療費についてはあまり考えなくて良いが、長期の治療となる為に、治療以外にも今後の生活の基盤をどこにするのかと言うことも考える必要がある。

と説明をされた。

3)帰国ルートの確認
帰国にあたっては当然私と子供の二人だけの移動となる。これまでの流れからもわかるようにこの時点で私はまだ長女に触れたことも無い。自身第1子でありオムツ変えやミルクを飲ませた事も無い。

不安要素を少しでも少なくするために、今回の移動では帰国に使用するフライトと合わせ、機体も同一機体であることを確認し移動した。お湯がもらえる場所、オムツのタイミング等ホテルまでの移動をシミレーションしながらの移動となった。

日本国籍の取得にあたってやはり田舎の役場はなれておらず本来不要であるはずの長女の出生証の原本を提出させられた。これが後で大きなミスとなりふたたび原本を取り戻しに行くためだけに日本へ移動する事になる。役場では理解がされておらず、外務省から連絡をしてもらう手間をとった。

 

病院については、実家近くでは無く肝移植のできる病院を選択する。その様な病院は当然紹介状のいるような大病院ではあるが直接電話して話を聞いてみる事にした。不安はすぐに入院、手術ができるのかと言うこと。

ここで偶然ではあるが、たまたま電話応答してくれた医師が小児肝移植の責任者であった事が幸いであった。話をまとめると。

帰国後すぐに病院に診察にくると良い、ただし紹介状がないので初診費用はかかる。当日の外来担当の医師には話をしておく、仮に胆道閉鎖症疑いであれば準急患として当日入院ができる。

ただ、外来の受付が15:00で終了するために、フライト時間から当日の外来受診は微妙なのでホテルで一泊し翌日の外来受診とする事にした。同時にこの一日を利用し、住民票登録と保険証の手続きを”両親”にしてもらう。

これで帰国後の準備は完璧なはず。

 

中国パスポート取得

中国で出生した子供が日本へ出国するためには2つの手段がある。
中国の戸籍を登録し、中国パスポートで出国
中国で出生した日本人として日本パスポートで出国
妻の確認によると日本パスポートでの出国の為には、日本のパスポート作成した後さらに手続きが必要*1らしく、中国パスポートで出国する事にする。

注*1 パスポートに入国印がない為に中国で生まれた言う証明が必要らしい。

 

ここで前記の出生証の原本がないと戸籍の申請が出来ないと言う問題あり、急遽再度日本に戻る事になる。このとき強く感じた事が”親の無知は罪である”と言う自分作成の名言。役場に言われた時強く反論しなかった自分が悪い。

中国ではパスポートの写真撮影には本人が必須なのでここで長女を退院させる。パスポートは妻の本籍地でしか申請できないので妻と妻の両親が先に移動し、私は日本で出生証を取り戻し現地集合となる。

この時、日帰りで日本を往復した事(+中国国内フライト+陸路4時間移動事)、帰りの飛行機がインド行きで機内食でカレーを食べた事、チケットに数十万使ったのは良い思い出。

2月14日移動量1日の移動量(飛行機のみ)

ここで長女と病院外での初対面、出生から19日目。

翌2月18日長女のパスポートを申請。生後1ヶ月も経っていないのでパスポートの写真を撮るのに一苦労。まず起きてる時間が短いしカメラの方など見るわけがない。

半日かかりパスポートが完成。

日本への帰国は広州白雲空港からフライトを予定しているので広州へ戻る。ここで一旦私は家族と別れ中国の家に戻り荷物の整理をする。もう戻る事は無い可能性が高い家なので私物をすべて処分し帰国に携帯するものを準備。

子供を抱えての帰国なのでスーツケースは1個が限界でこれに二人分の荷物を詰める。

帰国の荷物。これにマザーバックが一つ。

中国での最後の日(正確には翌日ホテルに宿泊するが)がこんなにあっさりしたものになるとは思わなかった。

中国出国

広州のホテルで再び合流しオムツ交換とミルクの練習する。抱っことかも練習が必要と思うが、妻の両親が子供を離さないので練習のしようが無い。かなりの不安を感じながらも時間は待ってくれず。

そして2月22日の早朝のフライトで日本へ出発。

ここからは自分一人しかいない。

ちなみに出国の荷物検査時に、私が日本人で中国語がわからないと思ったのか検査員が「あの子黄疸がでてる」と言われたムカつきは一生忘れないだろう。

今回4時間のフライトにかなり不安があったが、幸い機中泣くこともなくおとなしく機中で過ごしてくれてフライトには全く問題がなかった。長女はとても親孝行で以降も私がやばい状況になると手をさしのべて助けてくれる。

空港到着後、電車で病院に近いホテルに移動し移動は終了。食事をとる余裕もないが明日病院に行けばなんとかなるはず。

 

生後25日目 日本帰国。

 

 

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